教養は、いくらあっても困りません!

好奇心のおもむくまま、どーでもいいことから結構タメになることまで、備忘のために書き記します

名古屋にはブスしかいない、は本当か!?

地元(名古屋近郊ですが、ここでは広義で名古屋)に帰ると、よくこんな風に思うのです。
「東京の人っておしゃれだな≒名古屋の人って洗練されてないな」
と。
ヒィ〜!!!名古屋の人、どうか怒らないで!!!!私も名古屋人ですから!!!!

ネットに情報が溢れるようになって、地方ごとのファッションの特性が薄れたとよく言われます。
確かに、コンサバお嬢の街だった名古屋も、今では東京と同じようなロンハーマン風のカジュアルが溢れています。

でも、でもね。
東京と方向性は同じなのに、なんか違うんですよ。惜しい!みたいなね。
(お前何様だよ!?という問いは申し訳ないですが受け付けません!)

なぜその格好にそのバッグを合わせるの!?
とか、
アグのブーツはその格好には合わなくない!?
みたいな小さなことなんですが、でもファッションって、そういう小さなことが大事じゃん?
神は細部に宿るとはよく言ったもんですよ。


あとね、こんなこと言ったら更に名古屋の皆さんから反感買いそうですが(そしてお前本当に一体何様だよ!?って感じですが)、
名古屋って、綺麗な人が少ない気がするんですよ。。
これも単に「洗練されてない」ってだけなのかもしんないけども。

昔々、まだ私が高校生だった頃。
当時は裏原ファッションの全盛期で、メンズ雑誌でいうと「smart」がスッゴイかっこ良かったんです。
で、裏原ファッションって基本的に女の子も男の子っぽい格好するもんだから、私もたまにsmart読んでたんですね。

で、当時巻末の方にスタイリストの野口強さんの連載が載ってて、ある号で野口さんが名古屋のイベントに行った話が載っていたんです。
そこに「名古屋は本当に可愛い子がいない。ブスばっか」みたいなことが書いてあって、
当時名古屋の女子高生だった私は酷く立腹したものです。
その怒りのパワーによって、15年近く経った今でもこのことを執念深く覚えている。(←こういうところがブスなんだよ、という指摘は受け付けない)

だがしかし、東京生活も長くなった今となると、
「悔しいが、野口さんの言う通りだ…チッ」と思うのも事実。
…完敗、完敗や…。野口さん、これはもうワイの完敗や…!!

名古屋に綺麗な人がいないという話は、江戸時代に名古屋の美人は皆、尾張徳川家の江戸屋敷に召し抱えられてしまったからだ、とかルーツが色々あるんですが、まーなんかよく分かりません。
名古屋は東海三県や長野から人が集まる土地なので、仙台とか福岡のように、その地方の美人が集まる→結果的に美人率が高い!という方程式が成り立っても良さそうなのに、なんかそうはならんのです。
これぞ名古屋ミステリー。
なぜなんだーーー。。

この問いの究明は私のライフワークとして取り組んで行こうと思いますので、こんな理由なのでは!?というものがあれば是非教えていただきたいです!!
よろしくお願いいたします!!



全然関係ないけど、裏原全盛時代のsmartに載ってたストリートスナップでは、
フリーター」「自由人(恐らくフリーターと同義であろう)」といった肩書き表記がすごい多かったし、それがカッコよく感じられたんですね。
みんな胸をはってそう名乗っている感じだった。
フリーターという言葉が、作り出されたばかりということもあって、新鮮でカッコよかったってことなんでしょう。

時代は就職氷河期で、狙った企業の正社員雇用がないから取り敢えずフリーターしとく?って感じだったんだと思う。
まさかそのまま永遠に正社員になれなくてフリーターのままだなんて誰も思っておらず、「つまんない仕事に就かず、モラトリアムしてるオレ、カッコイイ!」みたいなものだったのでしょう。

今ではそんな感覚、信じられなくないですか?
フリーター、つまりは非正規雇用が『カッコイイ』と語られることなんて、今はもうないもん。
マーケッターの三浦展さんの「下流社会」という本で、こういったsmart男子と貧困みたいなことが語られているのですが、高校生の頃、smartを教典の一つくらいに思っていた私は、三浦さんの説に後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けたものでした。

フリーターがカッコよく感じられた時代≒裏原最盛期を00年前後として、
下流社会が出版されたのが05年。
ということは、日本社会の価値観が、希望が抱けない、省エネで生きる方が賢い、みたいな今に続く感じになっていったのは、05年のちょい前あたりからだったのかな〜と思ったり。

以上、なんだか冒頭の名古屋の話から大幅にズレちゃいましたが、今回はここまで!
名古屋の皆さま!ご不快に思われたなら本当ごめんなさい(>_<)!!!
許してちょーよ!←名古屋弁