教養は、いくらあっても困りません!

好奇心のおもむくまま、どーでもいいことから結構タメになることまで、備忘のために書き記します

新聞は、自分で自分の首を絞めている

姉が以前、読売の関連会社に勤めていたことから、実家(名古屋近郊)ではこの10年ほど読売新聞を取っています。
(私がまだ実家で暮らしていた頃は中日新聞だった。やはり愛知は中日が強い)

ただ、読売は中部圏は読者が少ないため、夕刊が無いらしい(母親談)。
本当か…?
年々減っているとはいえ、新聞として世界一の部数を誇る読売が、名古屋地区においてそんなことあるのか?
というのはここ数年の私の疑問なんですが、いまだに真相を突き止められていません。
教えて、読売の人!
まいいや。とりあえず実家では夕刊は読売ではなく中日を取っています。

よって、実家に帰ると期せずして読売と中日の読み比べができるわけです。
実家ってヒマだから新聞一生懸命読むし。
(まあ、朝刊と夕刊って性質が違うので、純粋に比べることはできないですが)

で、中日は幼い頃から読みなれているので、久しぶりに読んでもあまり違和感を感じないのだが(そもそも中日新聞はあまりポリティカルな偏りを感じさせないし)、
読売の朝刊を読むと、慣れていないこともあって結構ギョッとするんですよ。
あまりにも保守的で。

ポリティカルな偏り、という点で言えば、読売だけでなくたとえば朝日新聞もそうだとは思うんですけど、
朝日は「大学受験には天声人語!」というマーケティングに踊らされて高3時に1年間読んでいた(カラシニコフ銃が貧困国に広がるルポみたいな連載をやっていた頃。あれは面白かった)し、
仕事関連のファッション系の記事を読む為に会社でパラパラ読むので、
慰安婦報道問題が燃え上がった時も「良くも悪くもあの媒体はそういうものだよ」という風に受け止めておりました。
しかし、読売はたまにしか読まない分、その「御用!御用!!」な論調に驚きます。

まあ、そういう主張があるところが読売なり朝日なりの良い点でもあると思うので、それ自体は悪いとは思わない。
しかし、しかしですね。。
そういう主張の方向性云々とはまた違った意味で、「なんで今この人を取り上げるのか分からない…」みたいなズレを、読売新聞には感じることが多いのですよ。

いや、私なんて年に数回の帰省時にしか読売をしっかり読んでない(しかも夕刊は中日だし)ので、私が読んでない時にキレッキレの企画を多数取り上げていらっしゃるなら実に申し訳ないのですが、そういうのは置いといて以下思ったことをツラツラと書く。

新年1月1日とか、一日の休刊を挟んで1月3日の号の新聞って、かなり気合いを入れて作るもんなんだと想像するんですよ。
(違ったらすみません)
「新しい年を迎えた今、読売が皆さんに読んでいただきたいのはこの人のインタビューです!」とか、「世界をこういう切り口で見れば、未来が拓けると読売は考えている!」みたいな企画を当ててくるもんだと思うんです。
でも、なんかそれがどうも肩透かしなんだよなー。。

今年の1月1日号は、昨今の世界情勢不安を映して、宗教対立、シリア問題などをどう見るか、的な企画が多かった。
その中で、著名なご高齢の宗教学者の先生(山折哲雄さん)と橋本五郎論説委員の対談企画が目玉の一つだったのですが、
それがなんかどうもしっくりとこない。
今更ハンチントンの『文明の衝突』の話を出されてもなー。。的な。

高名で立派な宗教学者の先生なんだと思いますし、この先生の著書を一作も読んでいない私はこんなこと本来は言えないのですが、読売は今「この先生の知を日本人は学ぶべきだ」と本気で思ってこの企画を立てたんだろうか?と考えてしまった。
本気でそう思っているのだとしたら、読売が読者として想定している人物像って、かなり限られると思う。

端的に言えば、今、宗教学者に話を聞くにしても、この先生ではない方で適任者がいるのではないか?と思ってしまったということです。
要するに、人選が古いっていうこと。
普遍的なことをおっしゃっていたと思うんですが、SNSの話とかがすごい皮相上滑りで、今を捉えていないように感じたのです。
この人選では、今の30代〜40代(もしかしたら50代も。20代以下は言わずもがな)は、興味を持たんよ。
じーさん、ばーさんだけに読んでもらえればそれでいいや、と読売が思っているんなら別だけど。

高齢の先生だからダメだと言っているのではないのです。
事実、昨夏戦後70年記念として載っていた哲学者の梅原猛翁のインタビューは、戦争の悲惨さや学ぶことの大切さみたいなものを感じる名記事でした。
心の栄養になるような内容だった。
今回の宗教学者の先生も、質問のぶつけ方や話の聞き手によっては、違う内容になったのでは?と思ったりもする。

でも、なんかさー、やっぱり私が今この問いに答えて欲しい相手は、この先生じゃないなーーーと思ってしまった。
まあ、だからといってそこで東浩紀さんとか佐藤優さんとか古市憲寿さんとか宇野常寛さんとか持ち出すと、他の媒体と一緒じゃん…となってしまうわけだけど。
でも、少なくとも私は、東さんたちがどういう風にこの問題を受け止めているかの方が、読みたいと思った。
東さんたちでは他媒体と同じになってしまうと言うのなら、まだあまりメディアに出ていない若手の宗教学者比較文化学者、もしくは宗教者とかで、柔軟なものの見方をする人を見付けてくればいいのに。
(それが一番難しいと思うけど)


1月1日号だけでなく、1月3日朝刊の一面のインタビューはビル・ゲイツだったんですよ。
いや、すごいと思いますよ、ビル・ゲイツに取材を入れられたってことは。
でもさー、今ならイーロン・マスクとかに話を聞く方が断然面白くないか?(取材に応じてくれるかは別として)
だってもうゲイツはビジネスの最前線に居ないじゃん。だから、医療関係の慈善事業みたいな話がインタビューの主題でした。

そのインタビューの1月4日付けはシュレーダー元ドイツ首相だった。
いいインタビューだったけど。だったけど…。
…何でこのメディアはことごとく前線を退いた老人ばかりを取り上げるんだ!?と思ってしまった。
(数年前の新年号で曽野綾子さんのインタビューが載っていた時は、その余りにも保守的な内容にやり場のない怒りがこみ上げた。それに比べたら今年のは全然マシだったけど)

新聞の購読者層って、実質老人ばっかりなんでしょう。
朝日新聞が数年前、夫に先立たれた初老の女性に息子が新聞を届ける、っていう内容のテレビCMをやってて、衝撃を受けたんですが、あのCMは新聞の実情をそのまま表しているのだろう。
(しかし、あんなの見せられたら若者は余計新聞取らんわ。その点、中日新聞&東京新聞米倉涼子を起用していて良い。あと、日経の田中電子版も良い)

読者が高齢者中心だからといって、高齢者層ばっかりを意識した紙面を作ってたら、若者は更に新聞読まなくなると思うんですけど…。
そんな悪循環でいいんですか…?
読売の30代の記者さんとかは、すごい葛藤があるんじゃないかなー、、、いや、あくまで憶測だけど。

若者の新聞離れ、みたいな話になると、「ネット世代の若者は紙媒体など読まない」という、コンテンツを載せる船の形の話に論点が集中しがち&事実それは大きな要因なのでしょうが、
それ以前に、現状のコンテンツの内容そのものが若者にとって魅力が無いってことなのでは、、、
といったことを深く感じた読売新聞の2016年新年号でした。


※追記
ビル・ゲイツシュレーダーときて、1月5日付けの同連載は長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督だった。
ようやく分かった。狙ってやってるんだな、引退した人を。