教養は、いくらあっても困りません!

好奇心のおもむくまま、どーでもいいことから結構タメになることまで、備忘のために書き記します

名古屋にはブスしかいない、は本当か!?

地元(名古屋近郊ですが、ここでは広義で名古屋)に帰ると、よくこんな風に思うのです。
「東京の人っておしゃれだな≒名古屋の人って洗練されてないな」
と。
ヒィ〜!!!名古屋の人、どうか怒らないで!!!!私も名古屋人ですから!!!!

ネットに情報が溢れるようになって、地方ごとのファッションの特性が薄れたとよく言われます。
確かに、コンサバお嬢の街だった名古屋も、今では東京と同じようなロンハーマン風のカジュアルが溢れています。

でも、でもね。
東京と方向性は同じなのに、なんか違うんですよ。惜しい!みたいなね。
(お前何様だよ!?という問いは申し訳ないですが受け付けません!)

なぜその格好にそのバッグを合わせるの!?
とか、
アグのブーツはその格好には合わなくない!?
みたいな小さなことなんですが、でもファッションって、そういう小さなことが大事じゃん?
神は細部に宿るとはよく言ったもんですよ。


あとね、こんなこと言ったら更に名古屋の皆さんから反感買いそうですが(そしてお前本当に一体何様だよ!?って感じですが)、
名古屋って、綺麗な人が少ない気がするんですよ。。
これも単に「洗練されてない」ってだけなのかもしんないけども。

昔々、まだ私が高校生だった頃。
当時は裏原ファッションの全盛期で、メンズ雑誌でいうと「smart」がスッゴイかっこ良かったんです。
で、裏原ファッションって基本的に女の子も男の子っぽい格好するもんだから、私もたまにsmart読んでたんですね。

で、当時巻末の方にスタイリストの野口強さんの連載が載ってて、ある号で野口さんが名古屋のイベントに行った話が載っていたんです。
そこに「名古屋は本当に可愛い子がいない。ブスばっか」みたいなことが書いてあって、
当時名古屋の女子高生だった私は酷く立腹したものです。
その怒りのパワーによって、15年近く経った今でもこのことを執念深く覚えている。(←こういうところがブスなんだよ、という指摘は受け付けない)

だがしかし、東京生活も長くなった今となると、
「悔しいが、野口さんの言う通りだ…チッ」と思うのも事実。
…完敗、完敗や…。野口さん、これはもうワイの完敗や…!!

名古屋に綺麗な人がいないという話は、江戸時代に名古屋の美人は皆、尾張徳川家の江戸屋敷に召し抱えられてしまったからだ、とかルーツが色々あるんですが、まーなんかよく分かりません。
名古屋は東海三県や長野から人が集まる土地なので、仙台とか福岡のように、その地方の美人が集まる→結果的に美人率が高い!という方程式が成り立っても良さそうなのに、なんかそうはならんのです。
これぞ名古屋ミステリー。
なぜなんだーーー。。

この問いの究明は私のライフワークとして取り組んで行こうと思いますので、こんな理由なのでは!?というものがあれば是非教えていただきたいです!!
よろしくお願いいたします!!



全然関係ないけど、裏原全盛時代のsmartに載ってたストリートスナップでは、
フリーター」「自由人(恐らくフリーターと同義であろう)」といった肩書き表記がすごい多かったし、それがカッコよく感じられたんですね。
みんな胸をはってそう名乗っている感じだった。
フリーターという言葉が、作り出されたばかりということもあって、新鮮でカッコよかったってことなんでしょう。

時代は就職氷河期で、狙った企業の正社員雇用がないから取り敢えずフリーターしとく?って感じだったんだと思う。
まさかそのまま永遠に正社員になれなくてフリーターのままだなんて誰も思っておらず、「つまんない仕事に就かず、モラトリアムしてるオレ、カッコイイ!」みたいなものだったのでしょう。

今ではそんな感覚、信じられなくないですか?
フリーター、つまりは非正規雇用が『カッコイイ』と語られることなんて、今はもうないもん。
マーケッターの三浦展さんの「下流社会」という本で、こういったsmart男子と貧困みたいなことが語られているのですが、高校生の頃、smartを教典の一つくらいに思っていた私は、三浦さんの説に後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けたものでした。

フリーターがカッコよく感じられた時代≒裏原最盛期を00年前後として、
下流社会が出版されたのが05年。
ということは、日本社会の価値観が、希望が抱けない、省エネで生きる方が賢い、みたいな今に続く感じになっていったのは、05年のちょい前あたりからだったのかな〜と思ったり。

以上、なんだか冒頭の名古屋の話から大幅にズレちゃいましたが、今回はここまで!
名古屋の皆さま!ご不快に思われたなら本当ごめんなさい(>_<)!!!
許してちょーよ!←名古屋弁

スターウォーズ ep.7の問題点 【○○○○が居ない】

ネタバレ含みます!
まだ映画をご覧になられていない方は、お読みいただかない方がいいかも!

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というわけで、スターウォーズの新作を年末に観てきました。
…朝の8:30から。
普段の会社の始業は9:30で、しかも大体間に合っていないというのに、こういう時だけは張り切って行く!

新作を見るにあたって、正直エピソード1〜3がどんな話だったかはほぼ覚えておらず(アミダラ女王が可愛かったことと、オビワン役のユアン・マクレガートレインスポッティングの頃から大分老けたなーと感じたことぐらいしか覚えていない←ストーリーとほぼ関係ないじゃん)、
エピソード4〜5に至ってはルーク・スカイウォーカー役とレイア姫役はなぜこの俳優にした?途中で顔崩れすぎじゃね?エピソード5と6の間(4と5の間だっけ?)に私生活で何があった?と感じたことくらいしか記憶に残っていなかったんですが、
そんなスターウォーズ熱の薄い私、ミディクロリアン値の低い私でもとりあえず楽しめる程度にはマニア以外にも門戸が開かれた映画であった。


で、そんな風に熱の薄い私があれこれ言うのはおこがましいので、マニアックな論評はオタクの諸兄諸姉にお任せしますが、これだけは言わせて欲しい。

配 役 の 微 妙 さ は ス タ ー ウ ォ ー ズ の 伝 統 か 何 か で す か

エピソード4〜6のルーク、レイア姫に続き、なぜこの人を選んだ…?というキャスティングがありまして。
…はい、カイロ・レンのことです。

この役はハン・ソロハリソン・フォード御大)とレイアの息子という設定で、物語の鍵を握る非常に重要な役どころ、加えて途中まで勿体ぶって仮面で顔を隠しているというのに、

い ざ 仮 面 を 取 っ た ら す ご い 馬 面 だ っ た

なんかもう非常にガッカリしました。
しかも彼は怒るとモノにあたる幼稚な性格で、ライトセーバーで機材とか叩き壊してたし。
そのせいで部下のストームトルーパーには煙たがられているっぽかったし。
おかげで、「こういう上司を持った部下の皆さんは大変ですよね」という非常にサラリーマン的な目線でスターウォーズを見てしまったわ。
…話のスケールが宇宙叙事詩から一気に嫌な上司の話レベルに!

あと、あいつ強そうに見せかけておいて実際すごい弱いし。
グーグル検索でカイロ・レンと入力すると、予測変換で「弱すぎる」と出てきて噴いたわ。

しかし!
しかしですね!
そんな幼稚&弱いキャラであっても、顔さえハリソン・フォードの若かりし頃を凌ぐようなイケメンだったら、わたし、全て許せた気がするんです…!!
…それなのに馬面。チョーがっかり。

もういい、若き日のハリソンを凌ぐイケメンは求めない。
きっと彼は、ハン・ソロの遺伝子よりレイアの遺伝子を濃く継いでしまったという設定なんだろう。
(そもそも今ハリウッドの若手で、往年のハリソンほどのカリスマなどいないだろう)
だから、せめて…せめて…ハリウッドにおける十人並みくらいの容姿であったなら…。。

もしくは、「正統派のイケメンじゃないのに、なぜだか彼のことが気になって頭から離れない!この感情は何なの!?これが恋というものなの…!?!?(ex.ジェレミー・レナー)」みたいな人選であったなら…。。
なぜだーーーーーー!!!!!
なぜあの役者をキャスティングしたんだーーーーーーー!!!!!!

ルークとレイアのキャスティングで反省したのか、ジョージ・ルーカス御大はエピソード1〜3では磐石な配役をしてきたなと思っていたんですよ。
前述のアミダラ女王、オビワンに加え、ベイダー卿になっちゃうヘイデン・クリステンセンも影のあるイケメンで良かった。
(私は概して三白眼の男女に対する評価が甘いという点もありますが。だってなんか三白眼ってミステリアスでかっこいいじゃん←厨二的発想)

それなのに!なのに!!
なぜJJエイブラムスさんはルーカスがせっかく改めたダメなところをほじくり返してまた踏襲しているのか!!!
いくらリスペクトしてても、引き継ぐべきところはそこじゃなくね!?!?
あ、でもレイちゃん(主役)は可愛かったから、女を見る目はちゃんとあるわ、JJ。
それなのになぜだーーーー!!!!
なぜ男の人選が微妙なんだーーーーーー!!!!
死んだかと思ってたレジスタンスのパイロットの人も、なんか濃ゆくてもったりしていたしーーーーー!!!!!
なぜ正統派なイケメンを採用してくれないんだーーーー!!!!!!!!

以上、「※ただしイケメンに限る」に終始するどーでもいい感想ですみません。
でも、やっぱどうせなら美しい顔の人が見たいわ、娯楽映画なんですもの。
オタクの皆さん、ご気分を害されたら全力で謝ります。


カイロ・レン馬面問題以外に思ったことをザザッと列記しますと、


  1. ハン・ソロとレイア、ルークがいい感じに老けているのに対し、チューバッカが全く老けていないことになんかよく分からんけど萌えた
  2. 結局、父と子の物語というオイディプス神話的な筋を繰り返すのかーと思った
  3. 最後にレイがルークの居所を突き止めて、絶海の孤島(?)で出会うシーンのカメラワークがかっこ良かった
  4. 4Dで観たけど、4Dそれ自体としてはジュラシックワールドの方が面白かった

でした。
スターウォーズの神様、どうかエピソード8ではカイロ・レンをイケメンに成長させといてください。


というわけで、タイトルの
○○○○の正解は「イケメン」でした〜!!



新聞は、自分で自分の首を絞めている

姉が以前、読売の関連会社に勤めていたことから、実家(名古屋近郊)ではこの10年ほど読売新聞を取っています。
(私がまだ実家で暮らしていた頃は中日新聞だった。やはり愛知は中日が強い)

ただ、読売は中部圏は読者が少ないため、夕刊が無いらしい(母親談)。
本当か…?
年々減っているとはいえ、新聞として世界一の部数を誇る読売が、名古屋地区においてそんなことあるのか?
というのはここ数年の私の疑問なんですが、いまだに真相を突き止められていません。
教えて、読売の人!
まいいや。とりあえず実家では夕刊は読売ではなく中日を取っています。

よって、実家に帰ると期せずして読売と中日の読み比べができるわけです。
実家ってヒマだから新聞一生懸命読むし。
(まあ、朝刊と夕刊って性質が違うので、純粋に比べることはできないですが)

で、中日は幼い頃から読みなれているので、久しぶりに読んでもあまり違和感を感じないのだが(そもそも中日新聞はあまりポリティカルな偏りを感じさせないし)、
読売の朝刊を読むと、慣れていないこともあって結構ギョッとするんですよ。
あまりにも保守的で。

ポリティカルな偏り、という点で言えば、読売だけでなくたとえば朝日新聞もそうだとは思うんですけど、
朝日は「大学受験には天声人語!」というマーケティングに踊らされて高3時に1年間読んでいた(カラシニコフ銃が貧困国に広がるルポみたいな連載をやっていた頃。あれは面白かった)し、
仕事関連のファッション系の記事を読む為に会社でパラパラ読むので、
慰安婦報道問題が燃え上がった時も「良くも悪くもあの媒体はそういうものだよ」という風に受け止めておりました。
しかし、読売はたまにしか読まない分、その「御用!御用!!」な論調に驚きます。

まあ、そういう主張があるところが読売なり朝日なりの良い点でもあると思うので、それ自体は悪いとは思わない。
しかし、しかしですね。。
そういう主張の方向性云々とはまた違った意味で、「なんで今この人を取り上げるのか分からない…」みたいなズレを、読売新聞には感じることが多いのですよ。

いや、私なんて年に数回の帰省時にしか読売をしっかり読んでない(しかも夕刊は中日だし)ので、私が読んでない時にキレッキレの企画を多数取り上げていらっしゃるなら実に申し訳ないのですが、そういうのは置いといて以下思ったことをツラツラと書く。

新年1月1日とか、一日の休刊を挟んで1月3日の号の新聞って、かなり気合いを入れて作るもんなんだと想像するんですよ。
(違ったらすみません)
「新しい年を迎えた今、読売が皆さんに読んでいただきたいのはこの人のインタビューです!」とか、「世界をこういう切り口で見れば、未来が拓けると読売は考えている!」みたいな企画を当ててくるもんだと思うんです。
でも、なんかそれがどうも肩透かしなんだよなー。。

今年の1月1日号は、昨今の世界情勢不安を映して、宗教対立、シリア問題などをどう見るか、的な企画が多かった。
その中で、著名なご高齢の宗教学者の先生(山折哲雄さん)と橋本五郎論説委員の対談企画が目玉の一つだったのですが、
それがなんかどうもしっくりとこない。
今更ハンチントンの『文明の衝突』の話を出されてもなー。。的な。

高名で立派な宗教学者の先生なんだと思いますし、この先生の著書を一作も読んでいない私はこんなこと本来は言えないのですが、読売は今「この先生の知を日本人は学ぶべきだ」と本気で思ってこの企画を立てたんだろうか?と考えてしまった。
本気でそう思っているのだとしたら、読売が読者として想定している人物像って、かなり限られると思う。

端的に言えば、今、宗教学者に話を聞くにしても、この先生ではない方で適任者がいるのではないか?と思ってしまったということです。
要するに、人選が古いっていうこと。
普遍的なことをおっしゃっていたと思うんですが、SNSの話とかがすごい皮相上滑りで、今を捉えていないように感じたのです。
この人選では、今の30代〜40代(もしかしたら50代も。20代以下は言わずもがな)は、興味を持たんよ。
じーさん、ばーさんだけに読んでもらえればそれでいいや、と読売が思っているんなら別だけど。

高齢の先生だからダメだと言っているのではないのです。
事実、昨夏戦後70年記念として載っていた哲学者の梅原猛翁のインタビューは、戦争の悲惨さや学ぶことの大切さみたいなものを感じる名記事でした。
心の栄養になるような内容だった。
今回の宗教学者の先生も、質問のぶつけ方や話の聞き手によっては、違う内容になったのでは?と思ったりもする。

でも、なんかさー、やっぱり私が今この問いに答えて欲しい相手は、この先生じゃないなーーーと思ってしまった。
まあ、だからといってそこで東浩紀さんとか佐藤優さんとか古市憲寿さんとか宇野常寛さんとか持ち出すと、他の媒体と一緒じゃん…となってしまうわけだけど。
でも、少なくとも私は、東さんたちがどういう風にこの問題を受け止めているかの方が、読みたいと思った。
東さんたちでは他媒体と同じになってしまうと言うのなら、まだあまりメディアに出ていない若手の宗教学者比較文化学者、もしくは宗教者とかで、柔軟なものの見方をする人を見付けてくればいいのに。
(それが一番難しいと思うけど)


1月1日号だけでなく、1月3日朝刊の一面のインタビューはビル・ゲイツだったんですよ。
いや、すごいと思いますよ、ビル・ゲイツに取材を入れられたってことは。
でもさー、今ならイーロン・マスクとかに話を聞く方が断然面白くないか?(取材に応じてくれるかは別として)
だってもうゲイツはビジネスの最前線に居ないじゃん。だから、医療関係の慈善事業みたいな話がインタビューの主題でした。

そのインタビューの1月4日付けはシュレーダー元ドイツ首相だった。
いいインタビューだったけど。だったけど…。
…何でこのメディアはことごとく前線を退いた老人ばかりを取り上げるんだ!?と思ってしまった。
(数年前の新年号で曽野綾子さんのインタビューが載っていた時は、その余りにも保守的な内容にやり場のない怒りがこみ上げた。それに比べたら今年のは全然マシだったけど)

新聞の購読者層って、実質老人ばっかりなんでしょう。
朝日新聞が数年前、夫に先立たれた初老の女性に息子が新聞を届ける、っていう内容のテレビCMをやってて、衝撃を受けたんですが、あのCMは新聞の実情をそのまま表しているのだろう。
(しかし、あんなの見せられたら若者は余計新聞取らんわ。その点、中日新聞&東京新聞米倉涼子を起用していて良い。あと、日経の田中電子版も良い)

読者が高齢者中心だからといって、高齢者層ばっかりを意識した紙面を作ってたら、若者は更に新聞読まなくなると思うんですけど…。
そんな悪循環でいいんですか…?
読売の30代の記者さんとかは、すごい葛藤があるんじゃないかなー、、、いや、あくまで憶測だけど。

若者の新聞離れ、みたいな話になると、「ネット世代の若者は紙媒体など読まない」という、コンテンツを載せる船の形の話に論点が集中しがち&事実それは大きな要因なのでしょうが、
それ以前に、現状のコンテンツの内容そのものが若者にとって魅力が無いってことなのでは、、、
といったことを深く感じた読売新聞の2016年新年号でした。


※追記
ビル・ゲイツシュレーダーときて、1月5日付けの同連載は長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督だった。
ようやく分かった。狙ってやってるんだな、引退した人を。


マカオのカジノでガッカリした話

カジノと言ったら皆さんは何をイメージされるでしょうか。

やはりド派手にラスベガス?それとも格式高くモナコモンテカルロ
私にとってのカジノは、都市がどこであれ、正装した大人の男女が集い、葉巻をくゆらせつつポーカーやバカラに興じる場所、そんなイメージです。
だってスパイ映画(たとえば『007 カジノロワイヤル』)に出てくるカジノって、みんなそういう描写じゃん!?かっこいいじゃん!?

私自身は賭け事には全く興味はありませんが、生来の好奇心から、機会があれば一回カジノをこの目で見てみたいと長年思っておりました。
そこは本当にイメージ通りの場所なのだろうか!?
映画の様に、キリッとブラックタイを締めた訳ありそうな紳士が全財産を賭けたりしているのだろうか!?
もしくは、アウトローがディーラーの目を盗んで大金を掴んで成り上がったりしているのだろうか!?

想像は膨らむばかりです。
が、そうした単なる想像とは訣別し、実際にこの目でカジノを見る機会が人生32年目にしてとうとうやってきました。
果たしてラスベガスか!?
それともモンテカルロか!?!?

…正解はマカオです。
8年振りに香港出張が決まったので、その最終日に無理矢理時間を作ってマカオ行きを詰め込んだのです。
マカオか〜。。なんかラスベガスやモンテカルロに比べると正直小粒な感じは否めないけど、腐っても「東洋のラスベガス」だしな!
きっと私がイメージするようなめくるめくカジノの世界がそこにはあるはず!!

という期待を胸に、香港・尖沙咀からスピードボートに揺られること約1時間。
15年12月某日の朝、マカオに上陸してきましたよ。

上陸後、即カジノへ!!というわけではなく、とりあえず早朝から何も食べてなかったので茶樓の飲茶で腹を満たし、大航海時代の産物である世界遺産なども移動中に横目で流しておきました。

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この写真はアレね。イエズス会の教会の名残り?として有名な薄っぺらい壁(世界遺産)ね。
そして、そんな世界遺産を前にして写真を撮りまくっている人たちは、中国本土からの団体ツアー客さんね。
赤いキャップのおじさん、写り込んじゃってごめん!

香港もそうですが、マカオも中国本土からの観光客が本当に多かった。というか、観光客のほぼ100%が中国本土の人だったと言い切ってもいい感じでした。
彼らの”爆買い”パワーの恩恵にあずかっているのは、日本だけではないということですね。
まあでも、マカオは知らないけど少なくとも香港は、政治的な問題で対中感情が悪化しており、それもあって中国本土からの観光客は減ってるようです?
減っているとはいえ、絶対数としては依然多いわけですが。

さて。
世界遺産もいいですが、私の今回の目的はカジノなわけです。それを忘れてはいかん。
ベネチアンリゾート」という、ホテルとショッピングモールとカジノなどのエンターテイメント空間が一体になった巨大施設(館内に人工運河があり、ベネチアのようにゴンドラで移動できるという成金的発想がウリ。台場のヴィーナスフォートのスケールがでかい版とも言える)がマカオで今最もアツい商業スポットのようだ!というところまでは目星を付けていたのですが、
いかんせん帰国日に無理矢理時間を作っているものですから(その割に飲茶とか世界遺産観光とかしたけど)、時間が無い。

ベネチアンリゾートを一目見てみたいが、それがある場所は香港への帰りのボート乗り場から結構遠い。
行ってはみたものの、カジノ内を大して見ることができず、トンボ帰りになるのではないか…?
ていうか、トンボ帰りならまだいいけど、最悪帰りのボートに乗り遅れるのではないか…?
その結果、飛行機にも乗り遅れるのではないか…?
という懸念から、今回は残念ですがベネチアンリゾートを断念し、ボート乗り場に近い「ホテルリスボア」に行ってみました。

こんな風に書くとリスボアがしょうもない場所のようですが、一応リスボアはマカオでは名の知れた老舗ホテルなわけです。
漢字で書くと葡京酒店。
マカオがポルトガル(漢字表記は葡萄牙)の植民地であったことを伝える、コロニアルな名前を持つ由緒ある(?)ホテルです。
と言っても、香港のペニンシュラシンガポールラッフルズのような格式は全く無いんだけどね。
が、日本の旅番組でも、マカオというと必ずリスボアが一度や二度は映し出されます。それくらいのレベルには有名なわけです。

というわけで、行ってみました、リスボア。

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このキンキンギラギラの建物が目印。
中華圏って、金とか赤とか本当に好きよね。

館内に足を踏み入れてみますと、ホテルとカジノが完全に一体になっており、どこからがホテルなのかがいまいち分からず、建て増しで新館(多分上の写真の金色のビルは新館)とかもできているものですからもう巨大過ぎて本当にどうなっているのかよく分からない!カオス!!という感じでした。

カジノの区画が決められていわけでは無く、あらゆるフロアのあらゆるスペースにルーレットなどの卓やスロットが置いてあるわけです。
そして、あっちのカジノスペースは入り口で荷物検査があるのに、こっちは出入りフリー…なぜだ?みたいな謎や疑問点が沢山ありました。
そんなちっさいことをいちいち気にするような御仁は、そもそもカジノなどに来ないのであろう。

残念ながら内部は撮影禁止でした(当たり前だけど)ので写真はありませんが、あの雑然とした空気、言いしれぬ場末感、うらぶれたムードは、私が求めたカジノのきらびやかなイメージを真っ向から否定するものでした。
ブラックタイやドレスで正装した男女など誰一人居なかった。
居るのは中国本土からのツアー客の庶民的なおじさん、おばさんのみ。
あとは、カジノに来たのにキョロキョロするばかりで賭ける気など毛頭無さそうな小娘(私)だけ。

なんでしょうか、この寂れた温泉街(like熱海。熱海の皆さんすみません)みたいな雰囲気は。
そして、寂れているんだけども、人間の欲の生々しい気配もする。そこもなんだか温泉街と共通する。
ギラギラしていて背徳的だけど、所詮そのギラギラはハリボテでちゃっちい。文字にするならばそんな感じでしょうか。

この雰囲気、温泉街もそうだけど他にも何かに似ている。何だっけ?
マカオから香港に帰るボートの中でウンウン考えた結果、出てきた答えはパチンコ屋さんでした。
パチンコもギャンブルだから、冷静に考えたら似ていて当然なんだけど、片や日本のファストなロードサイド風景の代名詞、片やジェームズ・ボンドの世界と、私の中ではこれまでどうにもパチンコとカジノのイメージが結びついてこなかったんですよ。
それはつまり、私がカジノという言葉に夢を抱きすぎていたということに他ならないのですが。
現実のカジノはあんな感じなのだな…。

いや、昼間(恐らくカジノが盛り上がるのは夜)に一見客でも入れるスペースをチラッと見ただけだし、カジノのポテンシャル(…変な日本語。。)はあんなもんじゃないんだと思うんですが。。
きっとお金持ちたちは、観光客がおいそれと入って来られないスペースで賭け事を楽しむんでしょうし。
我々庶民からシャビーな空間で金を巻き上げ、それをお金持ちたちが楽しむリッチな空間に投資していくのでしょうし。

それにそれに、そもそも行った場所がリスボアだったし。
ベネチアンリゾートならばもっと華やかだったかもしれぬ。
というか、ラスベガスなどでなく、マカオだったのが根本的に間違いだったのかもしれぬ。
と、カジノ一般の名誉のために一応言っておきます。


東京・お台場にカジノを!という話が石原都知事、猪瀬都知事の頃には話題になっておりました(無事立ち消えたけど)が、わたし今回つくづく思いました。
日本には既にパチンコ屋さんがいっぱいあるんだからもうそれでいいじゃん、と。
バカラやポーカーでないとしても、賭け事であることには変わりないじゃん。
じゃあもうそれで良くない?(←雑な意見ですみません)
台場に作ったところで、マカオ以上のものにはならんでしょうし。
ラスベガスやモンテカルロのようになんて、逆立ちしたってなりますまい。
だったらいいよ、わざわざ物議を醸してまで作らなくて。

あーもー今回はつくづくガッカリしたわー。。
私のドキドキを返せ。
そんな気持ちになったマカオ・カジノを訪ねる旅でした。
もう二度とマカオに行くことはあるまい。
皆さんもスパイ映画的なカジノ感を求めているのなら、マカオには(少なくともリスボアには)行っちゃダメです。